大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1893号 判決 1967年4月11日

控訴人 大瀬秀一

被控訴人 大瀬かねよ

右訴訟代理人・弁護士 上田四郎

主文

一、原判決を次のとおり変更する。

1、控訴人大瀬秀一と被控訴人大瀬かねよとを離婚する。

2、控訴人と被控訴人との間の長女ふさ子(昭和二六年三月一〇日生)、長男進一(昭和二七年七月三〇日生)及び二女ナミ江(昭和二九年六月二五日生)の親権者をいずれも控訴人と定める。

3、控訴人は被控訴人に対し金一〇万円を支払え。

4、被控訴人のその余の請求を棄却する。

二、訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その四を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、以下につけ加えるほか、原判決事実摘示のとおりである。

(控訴人の主張の補充)

控訴人が昭和三七年二月二日被控訴人を殴打したことは認めるが、それも被控訴人主張のような大げさなものではない。被控訴人が手袋をこがしたことについて控訴人が注意したところ被控訴人はかえって反抗的態度に出て控訴人の悪口雑言をいうので、控訴人も手術後のこととて神経を刺激され、反射的に腹を立てて、平手で二回ほど被控訴人の顔面を殴打し長靴のまま被控訴人の腰部あたりを二回ほど蹴った程度のものであり、栗の棒で殴打したことはない。被控訴人の負傷もその主張するほど著るしいものではないと推察される。しかも控訴人は右事実については被控訴人の実家に参上して陳謝し、今後かようなことのないことを誓い、ひたすら被控訴人の復帰を願ったものであり、さらに昭和三七年二月二二日、被控訴人自身控訴人と遭遇の際右殴打の件を宥恕している。

被控訴人の真意としては控訴人の許に復帰する気があるものと考えられるのであるが、実父等の威圧によって本件訴訟が進められているものであり、当事者間には三人の未成年の子もあって、父母の離婚が子供たちに如何なる悪影響を与えるかを思えば、本件離婚は認容されるべきではない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

≪証拠省略≫を総合すれば、控訴人と被控訴人とは昭和二五年一月一〇日挙式して事実上結婚し、同年二月一日婚姻届出をした夫婦であって、両者の間には長女ふさ子(昭和二六年三月一〇日生)、長男進一(同二七年七月三〇日生)及び二女ナミ江(同二九年六月二五日生)があることが認められる。

被控訴人は控訴人との婚姻を継続しがたい重大な事由があるとして離婚を請求するので、判断するに、≪証拠省略≫を総合考察すれば、以下のような事実が認められる。

被控訴人は農業浅野清次郎、同ツネの長女として大正一三年一月一〇日出生し、高等小学校を卒えて実家の農業を手伝っていたが、土田安吉の媒酌により前記のとおり控訴人と結婚した。控訴人は農業大瀬修次郎、同とみの長男として大正一三年五月二〇日生れ、高等小学校を卒え、主として実家の農業に従事していたものであるが、控訴人方は畑七反四畝余、原野四反二畝余及び家屋敷を有する、部落で中流の農家である。被控訴人は控訴人と結婚後控訴人方に同居し控訴人並びにその父母弟妹(父修次郎は昭和三四年四月一一日死亡)と協力し農業並びに家事に従事し、前記のように子女三人をもうけてこれを養育しつつ、控訴人と夫婦共同生活を営み、控訴人が農業のかたわら土工等の稼ぎに出ることも多かったため、修次郎死亡後は被控訴人が主たる働き手となり、別段農家の嫁としてさしたる不都合な点もなく、真面目にやっていた。

控訴人と被控訴人との間柄、また控訴人方の親族と被控訴人との間柄も特に目立って風波の立つこともなく、昭和三〇年ごろまでに二回ほど夫婦間に控訴人が殴る蹴る等のいさかいがあったり、また控訴人の母とみが些細なことから被控訴人にいや味を言ったために被控訴人が実家に数日帰った等のこともあったけれども、その後数年間はともかく平和な夫婦生活が続いた。

ところが、昭和三六年二月控訴人は胃の手術をしてからはしばらく体力も弱り、自然被控訴人の肩に一家の農業、家事上の負担がかかるに至ったのであるが、そのころから次第に控訴人、被控訴人間に些細なことからいさかいが起り、同年一二月には、控訴人が被控訴人のこんにゃく玉の選別のやり方が悪いとて難詰したのに被控訴人が口答えをしたとて、控訴人が被控訴人を殴った(被控訴人主張のように青竹でしつこく殴ったかどうかは別として)こともあり、決定的な事件としては、昭和三七年二月二日、前日から二回にわたり、被控訴人が控訴人の手袋を乾す際に誤って焦がしてしまったことが原因となって控訴人が異常に腹を立て、被控訴人も若干応酬したので、控訴人は少くとも二回被控訴人の頭を殴打し(控訴人は平手で殴ったといい、被控訴人は栗の棒で強打したというが、目撃者もなく物的証拠もないので殴打の方法は水かけ論としてさておく)、また被控訴人の尻を二度ほど長靴のまま足蹴にし、バケツを蹴上げたりしたので、被控訴人は我慢がならず控訴人方を逃げ出して、遠縁の市川末次郎方に身を避け、医師の手当を受けた上、実家の浅野清次郎方に帰り、脳震とうとの診断のもとに同年四月ころまで甘楽郡○○町の医師のもとに十数回通って治療を受けていた。控訴人は、被控訴人が家を出て即日、弟の大瀬学を被控訴人の実家にやって帰るように求めたけれども被控訴人は頑としてきかず、被控訴人の父清次郎はじめ家族もこれを拒絶し、被控訴人は実家にとどまり、ついに同年二月二二日に離婚の調停を申立てるに至った。その間において控訴人と被控訴人は○○○町において被控訴人の通院の機会に面接する機会があり、二人だけで、または控訴人の義弟佐野弘造や媒酌人の息子土田幸吉を交えて、被控訴人に対し婚家復帰の勧告もなされたけれども、被控訴人自身の意思は動くことなく、控訴人は前記調停の期日の開かれる前の同年二月二五日幸吉らとともに被控訴人実家に至り被控訴人を連れ戻そうとしたが、被控訴人の拒否と被控訴人方家族その他近隣の者の差しとめで果さず、その後調停も短期間のうちに不調に終り、本件訴訟に至った。その後被控訴人は高崎市のパン店に住み込んで働いている。

おおむね以上の事実が認められ(る。)

≪証拠判断省略≫

以上認定の事実を通じてみるに、要するに控訴人は元来気が短いところがある上特に病後の時に前記のような粗暴なふるまいがあるにつけ、被控訴人としては夫に対する信頼感を次第に失い、ついには控訴人に対する夫婦間の愛情をも喪失するに至り、それゆえにまた、農家の主婦としての重圧を特に強く感ずるようになったものと認められ、当審における被控訴本人尋問の結果によれば、別居後五年を経過した今日も、思いなおすどころか、全く控訴人との共同生活に復帰する意思はさらにないことが認められる。なお被控訴人が控訴人を宥恕したとの控訴人の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

控訴人は右の点につき、被控訴人は復帰するの真意があり、控訴人に対する愛情は失っていないと主張するが、それは、本件全証拠を通じてみれば、控訴人の思い過ごしに外ならない。控訴人は被控訴人の父清次郎が二人の間を妨害していると一途に思い込んでいるようであるが、もちろん清次郎はじめ被控訴人方家族も控訴人に対する嫌悪が度が過ぎている点があり、初期のうちに被控訴人をよく取りなして、婚家での苦労に耐えるよう導くなどの努力をして破局に至るのを防ぐべきであったと思われるけれども、何といっても被控訴人も相当の年齢で自主的な意思が前記のとおりであることは疑いのないところであり、今日において到底飜意は考えられないものと認められる。

以上のとおり、控訴人と被控訴人とは現在においてはもはや夫婦生活を維持する基盤を失い婚姻関係が破たんしたというべく、如何に控訴人が被控訴人の復帰を望んでいるとしても(この点については、前記認定の経過事実、並びに≪証拠省略≫により認められる、控訴人がその所有不動産につき被控訴人主張のように前記調停申立直後ごろ突如実弟のため抵当権設定登記をなしている事実等からみて、復帰希望が純粋な愛情のみに出るものであるかどうかは必ずしも疑がないわけではない)、また当事者の婚姻年数や年齢、未成年の子女三人があることその他一切の事情を考慮に入れても、到底旧に復せしめる見込はないものというほかはない。しかして被控訴人が控訴人に対する愛情を喪失したことについては、控訴人側において特に決定的な要因があるともいえず(前記二月二日の殴打事件は比較的重要であるが、その動機は些細なものである)、被控訴人においても若干性急のそしりを免れず、今少しの努力が望ましかったといえるが、さりとて、何らか信義や人倫に反するほどの態度が被控訴人にあるわけでもなく、強いて被控訴人に婚姻生活に復帰させるのは適当ではない。

以上の事実によれば、控訴人、被控訴人間には婚姻を継続しがたい重大な事由があるといわなければならないから、被控訴人の本件離婚の請求は理由がある。

しかして前記未成年の子三名については、前記認定のところから、被控訴人がこれを扶養する能力があるとは認められず、むしろ控訴人において養育するのが相当と認められるから、被控訴人主張のとおり、三名の親権者を控訴人と定める。

次に被控訴人請求の慰藉料についてみるに、前記認定事実によれば、本件においては控訴人の行動が直接の別居原因となったとはいえ、婚姻関係の破たんの原因は一がいに控訴人にのみ存するとはいえず、結局は被控訴人の愛情の喪失がその原因であるから、控訴人をして損害賠償の責を負わせることはできない。よって右慰藉料の請求は棄却すべきである。

最後に財産分与の請求についてみるに、被控訴人は一二年にわたり控訴人と夫婦生活を営み控訴人方の農業、家事に対し寄与したこと少なからぬものがあると認められるから、控訴人は被控訴人に対し相当額の財産分与をなす義務があることは当然であるが、その額は、前記認定の控訴人の資産(原審における鑑定の結果によるとその評価は少くとも一〇〇万円相当と認められる)、控訴人を子の親権者に指定したことその他諸般の事情を考慮し、金一〇万円をもって相当と認める。

よって以上の限度において被控訴人の請求を認容し、その余はこれを棄却すべきものと認めるから、原判決を右のとおり変更すべきものとし、訴訟費用について民事訴訟法第九六条、第九二条を適用し、仮執行の宣言は財産分与に関してはこれを付し得ないと解すべきであるからその申立を却下し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤完爾 裁判官 浅賀栄 小堀勇)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例